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コンピューター将棋がプロ棋士を上回ってしまった世界のその先を描く作品
どうも、いなかです。
この記事では、原作・伊藤智義、作画・松島幸太郎のチャンピオンコミックス「永遠の一手」について、未読の方向けのレビューをまとめます。ネタバレは無し(最低限のあらすじ程度)としています。
上下巻で、すでに完結済の作品です。
名人がCPUに敗れたのをきっかけに、完全に人間よりCPUが上位になってしまう
作中では、まず今までの将棋界がコンピューター将棋によって完全に崩壊してしまうさまが描かれています。
そのきっかけというか、象徴となるのが、名人の敗北です。作中の名人・羽内は、単なる「名人位のタイトルホルダー」というだけではなく、天才の名をほしいままにした名実共に当時最強のプロ棋士。ですがその最強棋士が、将棋ソフト・彗星に敗れてしまいます。
そこから「プロ棋士よりソフトの方が強い」という認識が一般化された結果、将棋人気は下落の一途をたどります。ついにはスポンサーの不足からタイトル戦もできなくなる始末。
追い詰められた将棋連盟が打ち出した策は、コンピューターと人間のタッグ同士のチーム戦。
これまではCPUと比較されることで権威が下がる一方だった棋士たちですが、このルールにより、少なくとも構図の上では「人間対人間」に戻ることになります。格付けは完全に済んだということになってしまうのですが…。
主人公はCPU将棋アレルギーのプロ棋士。不利を承知での奮闘
主人公のプロ棋士、増山一郎は、名人の敗戦に強い精神的ショックを受けたせいか、将棋ソフトが使えなくなってしまいます。ソフトの使用で効率的に研究を進めるやり方の主流のなか、圧倒的に不利な状況に。
それでも不利は承知で、一郎は盤上で地道な研究を続けます。効率が悪い分、人の何倍も。
その結果は盤上にも徐々に表れてくるのですが、やっぱりこの作品の最大の見どころはこの、将棋ソフトに対するアンチテーゼの塊のような主人公が地道な努力で勝っていくところだと思います。
また、1巻の中盤以降は一郎の娘の天才プログラマー中学生・翔子が登場。また将棋界を潰してしまった責任を感じ、公の場から遠ざかっていたかつての天才・羽内も、翔子のパートナーとして参戦。彼らの視点も多く、群像劇の様相を呈してきます。また、プログラマーと棋士という立場の違いこそあるものの、壮大な親子対決の形にもなっていきます。
管理人は、この羽内元名人が好きで…天才なのは間違いないんですが、実力だけでなく人間としても素晴らしい方でした。将棋界から離れていた数年間も、子供相手に将棋を教えたりしていて。一見柔和で丁寧な人なんですが、胸の内には将棋に対する熱い情熱が迸っているというギャップもいいんですよねえ。(一郎は見た目からして割と強気そうな雰囲気です)
CPUが人よりも強くなったとき、プロ棋士に存在意義はあるのか
碁の世界でもソフトが猛威を振るっていますし、そう遠くない未来、完全に人が勝てなくなる時代が来るのではないでしょうか。
ただ、だから棋士がいらないかと言われたらそれは違うと思います。機械に人が負けるというのは物質世界ではとっくの昔に起こったことですが、それでスポーツ選手が存在意義を無くしたりしてはいませんから。
今は人とCPUの力関係が拮抗しているので話題にもなっていますが、もし完全に差が付くようなら、比べようとする風潮そのものがなくなるだけでしょう。人が走るよりも車や電車の方が速いのは明らかでも、陸上競技は無くなったりしませんし、正月には駅伝がニュースをにぎわせます。
結局、人と人が死力を尽くしている姿が感動を呼ぶのだと思います。この作品は、「人と人が死力を尽くす」描写は本当にうまく、胸が熱くなります。鬼気迫るという表現にとても迫力があるんですね。対戦ものが好きな人には間違いなくおすすめです。
作画の松島幸太朗さんはストライプ・ブルー以来ひさしぶりに作品を見ましたが、更に凄くなったなと感じましたね。次回作もなるべく早めに見たいものです。